About ANDO Hiroshi
History 歴史
| 1902年~ |
滋賀県の琵琶湖畔膳所(ぜぜ)町に生れ、満8才の頃より科学的方面に特に深甚なる興味を表わし、専門的知識を吸収した。その後、数多の発明考案を完成し、その特許を獲得するなど発明の天才の出現として世上に宣伝され、 またTYK式無線電話の発明者 ・ 逓信技師鳥潟右一氏等より第2のマルコーニと称せられるなど、生涯、研究人生を歩むことになる。 |
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| 1913年 |
明治学院中学に入学。在学中、校舎内の理化学教室と神学部校舎兼図書館の間にアンテナを立て、電波の送受信実験を行う。 |
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| 1914年 |
一般にエレクトロニクスとよばれる分野、すなわち電子管、電波、その他電子技術の実験施設を有するわが国最初の民間研究機関として安藤研究所を設立し、研究努力を集中した。 |
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| ~1919年 |
研究努力の結果として既に1中学生の身を以って世界発明史上、 エジソン(米)→フレミング(英)→ド ・ フォレ(米)→安藤博(日)と銘記されている真空管に関する画期的発明を成就した。 |
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| 1920年 |
明治学院中学部を卒業後直ちに早稲田大学理工学部予科に入学。 |
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| 1925年 |
早稲田大学理工学部を卒業したが、その研究歴は小中学生より始まり、この時代に既に世界に範を示す幾多の発明を成就している点に於て常人と全くその軌を異にしていた。 |
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日本放送協会(NHK)の発起設立への関わり
大正10年、逓信省は1少年であった本発明者に、わが国最初の無線電話・無線電信の私設実験局(呼出符号JFWA,送受併設局) の設置を許可した。 この施設によって、ラジオ放送の実験を自己の発明にかかる多極真空管その他多数の発明を以って、定期的に実施することにより放送事業開始の機運を盛り上げ、大正12年、社団法人東京放送局の発起設立者の1人となり、現在の日本放送協会(NHK)の発起設立に関わった。
高周波技術の研究・発明
大正10年よりテレビジョンの研究にも従事したが、以降、わが国最初のテレビジョン実験放送を行い、テレビジョンに不可欠な技術的基礎をなしている遮蔽グリッド管とその回路、加速グリットを有するブラウン管、テレビカメラ内にある撮像管としての二次電子増幅管の世界創始発明等を含む多数の発明を完成した。大正11年には早大出版部より 「無線電話」 を著作発行、無線放送の技術的方面を解明した最初の著作であり数十版を重ねた。その他多数の著作を刊行して電波科学技術の啓蒙に資すると共に放送事業開設の機運を作ることに役立った。
また、大正11年にはいわゆる「ニュートロダイン」の発明を完成した。ニュートロダインとは、打ち消し合うという意味で、この方式により高周波増幅で生じる寄生振動をなくし、高感度で音質の良いラジオが生産される様になった。
この発明は戦後米国の発明であるトランジスターにも不可欠の要部として組み合わされて実施、高周波工学上不可欠の基本的なものである。大正14年、
「ニュートロダイン」高周波増幅方式の寄生振動の阻止法の発明完成。これは写真電送 (NE式その他あらゆる方式) に不可欠の要部として実施、 またブラウン管式テレビジョンにも不可欠的に実施された。
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1928年3月 〜1929年夏 |
欧米視察をなし、マルコーニ、ベアード、ミハレー(1920年、ブラウン管底に画くテレビジョンを公開した創始者)、バルクハウゼン、ジェンキンス等著名発明家と意見を交換、マルコーニ・ビーム国際無線電話で最初の邦人として米・英間の通話を試みる等多大の収穫を得た。 昭和4年帰国早々、ツェッペリン飛行船世界一周に際し、いまだウラル山手前に飛行していた時、 既に自己の諸発明、特に多極真空管の応用によりツェッペリン飛行船上からの発信を唯一日本で受信し、機上にお守り猫が同乗していた事等のエピソードを朝日新聞紙上で周知させた。 |
英国のテレビ研究家ベア-ド(左) と対談する安藤博(右) |
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1933年 〜1937年 |
ロッシェル塩その他の結晶の圧電気効果を利用したピックアップ、マイクロフォンの応用を研究し、幾多の発明を完成、ラジオ、ステレオ、録音機等に広く利用された。 |
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| 1937年6月 |
日本電気株式会社が共同設立者となり、財団法人を設立。 |
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| 1938年8月 |
財団法人安藤研究所認可と共にその理事長に就任するに至った。 |
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| 1939年5月 |
日本10大発明家宮中賜餐の1人に列せられ、三島徳七、岡部金次郎、大河内正敏、古賀逸策の諸氏と共に栄誉を授けられた。 |
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| 1945年5月 |
現在の貨幣価値で数億円に値する真空管製造施設等の貴重な研究施設一切を空襲で焼失したが戦後はバラックから再出発、後に鉄筋コンクリート造りによる研究所の再建第一期工事、 続いて第二期工事を完成させた。 |
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| 1952年3月~6月 |
わが国テレビ創始発明者としてテレビジョン放送電波基準設定その他各種法制化に参画し、現在のテレビ放送事業の技術基準作成に貢献した。 |
| 1954年4月 |
第1回発明の日に藍綬褒章を受章。 |
テレビジョンの普及に尽力
昭和27年3月より同年6月に至る間、わが国テレビ創始発明者の1人としてテレビジョン放送電波基準設定その他各種法制化に参画し、テレビ放送事業の技術基準作成に貢献した。
昭和25年より同30年に至る間、五極又は四極出力管回路の発明を完成し、昭和30年より同36年までには多極管作動回路の発明を完成した。
また昭和30年より同50年の間、NTSC方式によらず、二次電子銃、シャドーマスク不要の方式によるカラーテレビジョンの開発に携わった。
昭和38年7月より9月に至る間ヨーロッパ11ヵ国に出張、 これら諸国のエレクトロニクス、放送施設、ラジオ、テレビジョン、宇宙通信施設等を視察した。
安藤博の大正3年から半世紀以上にわたる発明考案、諸研究は数千件に達したが、それらの努力研究は幼時に培われた科学に対する情熱なくしては到底成し得難いものであった。
今日文化の突端を行く巨大なる産業、エレクトロニクスの創始的地位を担うに至り,エレクトロニクス機器のあるところ安藤博の発明の実施されざるものなしという実状になったが、なおこれに満足せず日夜研究に没頭し続けた。
| 1975年2月 |
研究中の火災事故で生涯を閉じた。 |
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Innovations 主要な発明
安藤博は、70余年の生涯の中で数多くの特許と実用新案を取得していますが、
ここでは、それらの中から主要な発明をいくつかご紹介します。